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第2回 7月21日(水)18:00~21:00

~忘れがたい日本のファンタジー~

上映作品:
『愛の亡霊』(1978年、大島渚監督) 107分・35mm・カラー

日本の美にこだわる種田陽平さんと船曳真珠監督は、怪談・ファンタジー映画に注目します。
本映画はカンヌ国際映画祭でも高い評価を受けた作品です。

ゲスト:種田陽平(美術監督)

武蔵野美術大学油絵科在学中に寺山修司監督作品に参加、映画界に。1986年『ノイバウテン 半分人間』で美術監督となり、以降『スワロウテイル』『不夜城』『キル・ビル Vol.1』『THE 有頂天ホテル 』『フラガール 』『ザ・マジックアワー』など手がけた話題作多数。2009年の『空気人形』『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』で、文化庁芸術選奨・文部科学大臣賞を受賞。著書に『ホット・セット』『TRIP for the FILMS 』『どこか遠くへ』がある。美術監督をつとめた展覧会「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展」(東京都現代美術館/7月17日から10月3日まで)と 「小さなルーヴル美術館」展(メルシャン軽井沢美術館/10月24日まで)、また李相日監督の新作『悪人』も9月11日に公開予定。

聞き手:船曳真珠(映画監督)

東京大学在学中に初監督した『山間無宿』(2000年)が調布映画祭でグランプリを受賞。その後も自主制作を続け、映画美学校フィクション科を経て短篇『夢十夜・海賊版「第五夜」』(2007年に吉祥寺バウスシアター公開)を監督。2006年東京藝術大学大学院映像研究科に入学、在学時に監督した『夕映え少女』と卒業制作『錨をなげろ』は共に2008年に渋谷ユーロスペースで公開された。2009年には初の長篇劇場作品『携帯彼氏』が全国30館以上で公開。最新作『テクニカラー』は上映企画「桃まつりpresentsうそ」に参加し、2010年に渋谷ユーロスペースなどで公開された。

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司会・伊達: 本日の司会をいたします伊達浩太朗です。各界で活躍されている方に映画のセレクトをしていただき、日本映画の良さ、日本映画の魅力を再発見していくこの企画、本日は今年度の第2回目ですが、美術監督の種田陽平さんをゲストに、船曳真珠監督を聞き手にお招きしています。

ゲストの種田陽平さんは、映画『スワロウテイル』、『キル・ビル』、『フラガール』、『ザ・マジックアワー』、『空気人形』、『ヴィヨンの妻』など、国内外の多くの映画の美術を手掛けて来られた、日本を代表する美術監督です。今ちょうど東京都現代美術館で、種田さんの手による「借りぐらしのアリエッティと種田陽平展」が行われています。

注) 展覧会「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展」、2010年7月17日~10月3日、東京都現代美術館。

私も先日行ってみましたが大変盛況で、また大変楽しめました。このように、映画美術にとどまらず種田さんは様々な分野で活躍されています。

一方、本日の聞き手である船曳真珠監督は、東京大学の1年生のときに制作した映画『山間無宿』が調布映画祭でグランプリを受賞されるなど、非常に早熟かつ才能ある若手監督です。東京大学を卒業後は東京藝術大学・大学院の監督領域(映画監督コース)に進まれ、昨年には初の長編劇場映画『携帯彼氏』を監督されました。
では、そろそろお2人に登場して頂きましょう。皆さんどうぞ拍手でお迎えください。

【両監督の挨拶と、上映作品の説明】

種田: 暑い中ありがとうございます。美術の種田陽平と申します。今日上映される『愛の亡霊』は、ずっと映画館でもう1回見たいと思っていて、ようやく何十年ぶりかな、30年ぶりくらいに見ることが出来ます。僕が1番楽しみにしています。
船曳: ご紹介いただきました船曳真珠と申します。昨年から「カルト・ブランシュ」の企画に何回か参加させていただいて、今回は種田陽平さんのお話を聞けるということで、一観客として大変楽しみにして参りました。『愛の亡霊』も傑作ですので、皆さんもどうぞ楽しんでご覧ください。
司会・伊達: 種田陽平さんから、今回の企画で大島渚監督の『愛の亡霊』(1978年)を選んだ理由とか、どこに注目して見ていただきたいポイントなどを是非。
種田: 自分が映画の美術の仕事をしていて、日本でファンタジー映画というか幻想的な映画というものを手掛けてみたいなと常々思っているんですね。でも、なかなか今そういう映画に巡り合うチャンスがない。で、思い返すと大島渚監督の『愛の亡霊』があったな、『愛の亡霊』の後に何故こういう映画が生まれないのか、また、ファンタジー映画の評価というものも、『雨月物語』(1953年、溝口健二監督)で止まっているんじゃないか。今回『愛の亡霊』を自分でも確認して、日本の美しいファンタジー映画というものをもう1度作るためにこの映画を改めて見たいと思いました。DVDとかで出ているとは思うのですけど、フィルムで見た時の感動というのはやっぱりありまして、この映画をフィルムセンターで見たいと思いました。『愛の亡霊』はニュープリントではないそうなのですが、美しい映画の奥行きを見られると思うので、是非そのあたりに注目してもらえたら。あと『愛の亡霊』は美術監督が戸田重昌さんで、後でご説明しますが、独特の映画空間をずっと作り続けた方なのでそこも見どころだと思います。そして映像が素晴らしいです。撮影の宮島義勇さんの映像がもう素晴らしく美しい作品なので、是非そのあたりを見ていただきたいと思っています。
司会・伊達: では早速これから上映に移りたいと思います。

--- 映画『愛の亡霊』(1978年)の上映 ---

司会・伊達: それではこれから種田陽平さんと船曳真珠監督に、映画『愛の亡霊』についてなど色々とお話を伺っていきたいと思います。

【美術監督・戸田重昌について】

船曳: この映画の美術をされている戸田重昌さんについてお聞きしたいのですが。
種田: 僕もそんなに戸田重昌さんについて詳しい訳ではないのですが、ちょっと変わった映画美術の空間を作る人で、抽象的というか舞台美術的というか、リアルなだけじゃないんですね。そういうところが昔から気になっていて、好きなんですけど。戸田重昌さんのキャリアの最初というのは、何の作品だったかは僕も定かではないんですけど、どうも美術監督の水谷浩さんの助手を務めたことがあるらしい。水谷浩さんについては、ここフィルムセンターでも4年前に特集を組まれましたよね。

注) 展覧会「生誕100周年記念 美術監督 水谷浩の仕事」、2006年4月4日~9月24日、東京国立近代美術館フィルムセンター展示室。種田陽平氏も「21世紀・これからの映画美術と水谷浩」というテーマで2006年9月2日(土)にギャラリー・トークを行った。


種田: また戸田重昌さんは『雨月物語』(1953年、溝口健二監督)の美術をやられた伊藤熹朔さんの助手もやられたことがあるという、羨ましいキャリアの持ち主なんですけど、ご自身が美術監督になられてからは、大島渚監督とか篠田正浩監督とか小林正樹監督の作品を手がけておられ、意外と作品が少ないのですが、1965年の『怪談』(小林正樹監督)が代表作で、この作品はその年の第18回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞しています。そういえば今日の『愛の亡霊』も1978年(第31回)にカンヌで監督賞を取っていますね。
船曳: 先日、種田さんと一緒に『四谷怪談』(1965年、豊田四郎監督、美術・水谷浩)と『怪談』(1965年、小林正樹監督、美術・戸田重昌)をここフィルムセンターで見させて頂きました。『怪談』は、広大な倉庫の中に通常の時代劇の「昔の日本」とは全く違うクリエーションがされていて、本当に大作で面白かったです。
種田: 戸田重昌さんは、何か閉ざされた、俗世間と切り離されたセット空間みたいなのをお作りになる。『怪談』も小泉八雲の怪談で、いわゆる普通の怖い怪談ものとはちょっと違うんですよね。4編からなるオムニバスなんですけど、1つ1つが神聖な空間というか日本の神様が宿るような空間づくりで、言い方が難しいですけど、ちょっと特殊な映画美術表現なんですよね。今日見た『愛の亡霊』にも通じるような感じがあったと思うのですが。
船曳: そうですね。

【日本の怪談映画】

船曳: 『愛の亡霊』で田村高廣さんが演じている(殺されて幽霊になった)塚田儀三郎の顔が、白塗りになっているのですけど、あれは『怪談』でもやっていますよね。幽霊の顔が記号的というか、幽霊だから顔が白いというのが何か面白いなと思いました。
種田: 幽霊になった時の田村高廣さんの動きが、様式的というかゆったりしていてこの映画にぴったりというか。決して怖さを狙っているわけではなく、登場人物たちのそれぞれの生き様が1つの童話のように、昔話のように結晶化されている。そんな感じがしたんですけど。
船曳: 種田さんは、こういったものは「幻想映画」として呼んでいきたいとおっしゃっていますが、日本に脈々と伝わる怪談は、幻想というのが一番大きな根幹となっているんでしょうか。
種田: 「夏といえば怪談もの」という時代があったのですが、この『愛の亡霊』が1978年ですけど、この映画以降はとんとパっとした怪談ものがない。僕も3年前に『怪談』(中田秀夫監督、2007年)という映画で美術をやったことがあるのですけど、怪談映画が日本人の心に届くということが本当に少なくなってきたように感じます。
船曳: そうですね、今、怪談あるいはホラーというと観客を脅かす恐怖表現というのがメインになってきます。中田秀夫監督の『リング』(1998年)などは、今回の『愛の亡霊』に出てくるような井戸が出てきて、過去の怨念だとか日本的ですが。
種田: 通じていますよね。
船曳: 私もそう感じました。やはり日本の怪談の特色というと、人間の怨念だとか欲だとか、そういったドラマと一緒に作られている。
種田: そうですね、色々な時代があると思うのですけど、怪談ものというジャンルと、僕が言った幻想的な映画ということでいうと、怪談ものではないのですがあの有名な『雨月物語』(溝口健二監督、1953年)とかはどうですか。
船曳: 『雨月物語』大好きです。
種田: あれは怪談映画ではないんです。
船曳: そうですね。京マチ子さん演じる死霊はちょっと邪悪なところもありますけど、田中絹代さん演じる幽霊は寂しく優しい幽霊というか。そういった意味では、幻想の方に近いのかなと。

【戸田重昌の世界。四季の風景とセットの美学】

種田: 僕はそれと、その周りを包み込むような風景とか集落とか、特にそういうものについて今日の『愛の亡霊』では注目していました。映画の舞台になっているこの村は、美術監督の戸田重昌さんが滋賀県で探した廃村らしいのですが、その廃村に手を入れて村を作りこんで、ちょっと特殊な村を造形している。塔婆が沢山あったり、ちょっと現実とは違う幻想的な村を作っている。と同時にこの映画「凄いな」と思ったのは四季の表現です。最初に雨のシーンがあって、次に雪になって、そのあと枯れ葉の黄色い世界になって。これニュープリントだともっと色がハッキリすると思うんですけど、凄く発色が良いはずで、僕の記憶の中ではそうなんです。白い雪から黄色の枯れ葉の世界にいって最後の雪景色までに、世界観が特別な感じがしたんですね。
船曳: 一面が白い雪景色だったり黄色い落ち葉だったり、背景が、ちょっと現実とは何か違うような。
種田: 凄く天気や季節にこだわって撮影していると思うんです。ラストシーンの吊り下げられて殺されるところ、あそこの拷問のシーンだけが普通の青空なんです。そこが凄く印象的で、監督・撮影監督・美術監督が狙った世界と天気、本当に全てをコントロールして出来上がっているなあと思ったんです。
船曳: 『怪談』(1965年、小林正樹監督)はセット撮影で、完全にセットの中で展開しますよね。
種田: 同じ戸田重昌さんの美術でも、あれはもうオールセットで人工的。
船曳: 人工的で。それが『愛の亡霊』になると、ちょっと外に展開しているけれども、それでもやっぱり舞台のような雰囲気で。
種田: そうですね、世界観をこう作り上げている素晴らしさがあると思うんですね。大島渚監督と戸田重昌美術監督のコンビだと、この『愛の亡霊』の前の作品の『愛のコリーダ』(1976年)が有名なんですが、『愛のコリーダ』は京都の撮影所に作ったセットが美しく色もきれいなんですけど、『愛の亡霊』の美術は、『愛のコリーダ』のいわゆるセットの美学とは違うものなんですよね。
船曳: 違いますよね。『愛のコリーダ』は室内の装飾がかなり派手で、色っぽい世界で。『愛の亡霊』は農村の貧しい農家のお話で。
種田: 実際に明治時代に茨城県であった車屋儀三郎事件という事件を基にしているらしいです(「車屋儀三郎殺人事件」中村糸子著)。茨城県が舞台なので一応ちょっと茨城の方言になっている。でも映画に出てくる村は滋賀県に作っているせいか全然関東っぽくない村を造形している感じなんです。現実を基にしながらもちょっと抽象化されているというか、童話化されているような感じがしました。
船曳: そうですね、関東だったらもう少し開(ひら)けているかもしれない。相当に山深いところに村を作っている。
種田: 草ぶきの屋根も、関東とはちょっと違うと思うんですよね。
船曳: 確かに。有名な岐阜県の白川郷みたいに、屋根がちょっと鋭角的になっている。
種田: それと村の荒れ具合というか。メインストリートのポジションと、塔婆が立っている感じと、車(人力車)が走る橋とか、印象的な場所が繰り返し出てくる。
船曳: そうですね、橋が凄く素敵でした。幅広い橋が、最初に儀三郎が登場する場面でドーンと現れると、これからこの物語に入ってくのだな、と思わせてくれて。
種田: あれは有名な手すりのない橋ですよね。川が溢れても橋げたの上を水が流れて、橋が流されずにすむというタイプの橋(沈下橋)。今日見て、思ったより天気を計算して自然を上手くモンタージュしているなということを一番感じました。
船曳: そうですよね、特にあの吹雪のところなんか「これを待って撮影したのかな」と。でも多くのシーンを夏に撮影している感じはしたんです。
種田: かなり短期間に、秋の景色に変えたり雪の景色に変えたりしながら作って撮影しているはずなんですけど。
船曳: じゃあ吹雪も、ああゆう風に人工的に入れて。
種田: ちょっとわざとらしい、歌舞伎調の雪みたいのもありましたよね。
船曳: 歌舞伎調の雪というのはどういう?
種田: 例えば井戸を下から見上げた時の世界なんかは明らかに作っているというか、単に自然なだけじゃなくてちょっとやり過ぎなくらい。でもそれが印象的で、あの井戸が特別な空間に見える。ああいう井戸を底から見上げる風に撮っている映画は沢山あると思うんですけど、この映画の井戸の下から見上げるショットが一番凄いんじゃないかなと思うのは、井戸の底から見上げた井戸の口のところにこう木が出ていて、同じようなどのシーンも、その気で雪景色になったり枯れ葉になったり全部変えているんですよね。あの木が素晴らしいですね。

【実写映画で描かれる日本のファンタジー】

種田: あと「幽霊が上から覗いて枯れ葉を撒く」というのもホラー映画ではなかなかない、良い発想だと思います。
船曳: そうですね、儀三郎(田村高廣)が幽霊になってからの行動が面白い。
種田: 予想外で。
船曳: 幽霊らしくなくて面白い。
種田: 逆に、豊次(藤竜也)とせき(吉行和子)の2人が追い詰められていく、どんどん死に近づいていく。それがもの凄くこの映画の特色であるという感じがしますね。
船曳: そうですね、泥だらけになった。
種田: しかも、かなり生々しい。生々しいんですけど、それが浄化されていく感じもあって。最後に抱き合っている時などは、後ろから後光が射しているようで。
船曳: ありましたね、家の中で。
種田: あのシーンは2人が成就したような感じで、美しいシーンだなと思うんです。
船曳: 大島渚監督のこの2人に対する愛情というか。この作品と、あと『愛のコリーダ』(1976年)もどうしようもない2人がずっと画面に居続けて、それに対する愛情というものを非常に感じる作品だと思います。
種田: そうですね、それと主役の吉行和子さんが凄く美しい、こんなに美しい。でも格好はボロボロなんですよね。凄く印象的で、忘れられない感じですね。
船曳: 吉行和子さんは映画の中の設定でも40代でしたけど、実年齢も40代ですよね。少女に見えます。
種田: 本当に、カンヌでは20代くらいに見えたって書いてありました。
船曳: そうなんですね。
種田: 凄いなあと思いますよね。で、他の脇役たちも面白いんですよね。警官役の川谷拓三さんとか。豊次を慕う田中伝三役のおすぎさん(杉浦孝昭)とか。おすぎさんが無名時代に出た映画で、凄くぴったりなんですよね。こういう人、この村だったら居ただろうなと。
船曳: 大島渚監督のキャスティングの妙ですよね。
種田: 周りの村人たち、ちょっとボケている殿山泰司さんとかもね、全部凄く印象的で。何ていうんですかね、昔話をちゃんと映画で見せられているという感じで。日本映画で昔話をアニメーションや漫画ではなく、実写映画でちゃんと描いたものはなかなか少ないと思うんですね。溝口健二監督の『雨月物語』とかの頃は別なんですけど、近年になればなるほど少なくなってしまう。どちらかというと海外に比べて日本はファンタジー映画が育たない、伸びないと言われているんですけど、その辺はどうですか?
船曳: そうですね、私もそれは聞いたことがあります。ただ私はファンタジー映画が大好きで、1982年生まれなんですが、80年代はファンタジー映画って世の中で全盛だったと思うんですね。それでいっぱいそういうのを見て育ったので、今でも好きなんです。逆に欧米だとここ10年くらいファンタジー映画は凄く盛り上がっている。例えば『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズだとか『ハリー・ポッター』シリーズだとか(ともに2001年から)。日本だとやっぱり予算の関係とかもあって実現しにくいのかなと。でも観客はいるのではないかと私は思っているんですけど。
種田: なかなかこういう土着的な話しというのが上手く映画の中で表現されないことが多いんですけど、今日の映画なんかはリアルであって、幻想的であって、昔話のようであって、それでいてイソップ童話のようである。もう一つはそこで描かれている人物像が、結構現代に置き換えられるというか、現代的でもあるんですよね。
船曳: そうですね、藤達也さん(田中豊次役)のお芝居ってホントに絶妙だなと思って。「この時代にこんな人いないよ」という疑念をぎりぎり抱かせない範囲で、軽妙にああいうキャラクターを作りあげちゃう。その世界を作り上げる役者さんの力って凄いなと思いました。
種田: 明治時代に本当にああいう人がいたかというのとは別ですよね。
船曳: そうですね。それはそれとして存在しているんだというか、現実とはまた別だけれど、でもそれ自体で本物という風に思える説得力があります。
種田: 音楽も何か不思議ですよね。あの音色というか、面白いですよね。
船曳: そうですね。武満徹さんの音楽。

【立体的な奥行きある空間造形】

種田: 僕が今日見て、特にこのフィルム版で見て良かったなと思うことは、撮影監督の宮島義勇さんに関してなんです。西の宮川一夫さんに対抗して東の宮島義勇さん。威厳ある撮影監督で有名な方だったらしいんですね。宮島さんは、凄く照明にこだわった方らしいんですよね。で『怪談』(1965年、小林正樹監督)も宮島さんで、その光と影の造形の仕方が、ちょっとお気付きかもしれませんが、べたっとした日本の空間の明かりではなくて、西洋絵画っぽいライティングなんですよね。吉行和子さんとか藤竜也さんとかのライティングが、レンブラントの画を見ているかのような光と陰で凄く立体的なんです。
船曳: かなり陰影がありますよね。『愛のコリーダ』(1976年)だと、パーンと光が渡っていて色彩豊かでという世界だった。こちらは、色はそんなに多くはないけれど、光で変化を出している。
種田: 集落もですね、日本の集落って立体感があんまりないんですね。こうペタっとしているもんなんですよね。普通はもっとこうバラバラになっていて締まりがない村が多いんです。『七人の侍』(1954年、黒澤明監督)の集落なんかもそうなんですけど、あえて立体感を強調している。今日の映画を見ても、村が光と陰で凄く造形的に描き出されている。そういうポジションで撮っているし、その構成の時に撮っている。あとスモークを焚いたり、色々な効果を出している。
船曳: そうですね、スモークを焚くと空間の中に奥行きが出る。
種田: 凄い奥行きがありましたよね。こんな奥行きのある村って、なかなかないんじゃないかと思うんです。ベースは廃村を利用しているかもしれないですけど、美術の戸田重昌さんがその廃村に建て込んで、村の通り(道)というか奥行き感を強調している。そのおかげで村の屋根の連なりが面白い。なかなか日本映画で見たことがないです。
船曳: 画期的な。
種田: 画期的な空間になっていたと思います。それは『雨月物語』(1953年、溝口健二監督)に出てきた村とか朽木屋敷とかに通じる、日本の古い時代を題材にしたものも、そこで何か美術や撮影、照明による造形がなされているなという感じが凄くしました。
船曳: 『雨月物語』の美術は伊藤熹朔さんで、戸田重昌さんのお師匠さん。
種田: 伊藤熹朔さんは舞台美術も沢山やられていた方なので余計に、映画美術空間の中に、リアルだけじゃない舞台美術風の抽象的な誇張された世界みたいなのを作っていたと思うんです。そういう香りもしますよね。
船曳: そうですね。それがフィルムの質感でもって全然嘘っぽくない。様々な工夫で全体の統一感が成り立っていて素晴らしいと思いました。

【京都の技術の影響と、スタジオシステムの終焉】

船曳: 『愛の亡霊』は1978年の作品で、スタジオシステムが崩壊したと言われる時代よりも後の作品ではあるんですけど、京都の撮影所で作られて。
種田: そうですね。水谷浩美術監督の装飾をしていた、言い換えれば溝口健二監督作品の装飾をやっていた京都の有名な荒川大さんが、この映画の装飾をやっています。何というのですかね、京都で色々な有名な映画を作っていたスタッフが支えて出来ていると思いました。この映画自体は京都の古い映画システムが終わった後の、大島渚プロダクションとフランスの合作映画ですけれど、そこを支えている美術には京都のそういう伝統ある技術が生きているんじゃないかなと思います。僕はその時代に映画の世界に入ってなかったので、推測もありますが。
船曳: 時代的にはアメリカではニューシネマ(1960年代後半~70年代)があったりとか、インディペンデント製作が盛んになってきて、こういうスタジオであったりセットを作ったりという作品が減ってきてしまった時代だったと思うんです。当時、『ツィゴイネルワイゼン』(鈴木清順監督)と『影武者』(黒澤明監督)が同じ1980年に公開されて、種田さんはそこに希望を持ったとおっしゃっていましたよね。
種田: 確か大学1年の時だったか、ちょっと記憶が違っているかもしれないですけど、鈴木清順監督が美術の木村威夫さんたちと一緒に、シネマプラセットという新しいタイプの映画館(銀色のドーム型テントの移動映画館)で、新しいタイプの映画歌舞伎と名打って『ツィゴイネルワイゼン』を公開して、「おおっ!」という感じだった。その時ちょうど黒澤明監督が復活して『影武者』を撮ったり、何かその一時代終わった後にまたこう燃え盛ってきたという感じだったのを覚えています。『愛の亡霊』はほぼ同じ時代の作品なので、まだ撮影所の映画が持っていた力みたいなのが生き残っているというか。『ツィゴイネルワイゼン』でいうと鈴木清順監督、木村威夫さんや日活撮影所のチームがまだ頑張っているという感じで出てきた、『影武者』は黒澤明監督と東宝のスタッフがまた出てきたという感じで。この『愛の亡霊』はそういう風に考えると、溝口健二監督の頃から続く京都や京都大映のスタッフの力がまた出てきたという風に、今見直すと思いました。
船曳: しかし実際には、そういった映画が作られていくという流れが続かなかった。
種田: そうですね。そのあと京都大映が倒産してスタジオやめたりして、ホントに時代が入れ変わったんだと思います。で、新しい撮影所の時代になって、また日本映画が1990年代以降に復活してきたという感じなので、世代的にも完全に入れ替わるというか、僕らの世代も含めて入れ変わってきた時代だと思うんです。僕らの世代はこの頃のこういう映画も知っている。そこは船曳真珠監督の世代とはちょっと違うと思います。今日初めてこの映画を見た方も多いと思うんです。僕たちとしては、1950年代の映画が黄金時代で凄い映画がいっぱいあるのは知っているんですけど、この1970年代の映画の中で、まだまだ今の時代に通じるものもあると思う。

【ファンタジー映画の可能性】

種田: 『愛の亡霊』は、それほど大騒ぎになってスポットがあたるような映画ではないと思うんですけど、こういう映画の中から何か新しい日本の怪談もの、ホラーもの、そしてファンタジーものへの足がかりが見えてくるんじゃないかと自分なりに思っているんです。そんなふうには伝わらないですよね。
船曳: いえ、伝わります(笑)。私、個人的にジャンル映画が凄く好きなんです。ただ50年代に作られていたようなジャンル映画をそのまま作っちゃうと、多分、今の観客に届かないだろうなと思っていて。70年代に作られているものは、全然今でも通用するんじゃないかなと思います。深作欣二監督もそうですし神代辰巳監督もそうですし。
種田: 青春映画からコメディから多くの作品があったと思うんですが、今は色々なジャンルが閉ざされてきている。怪談ものなんかも作りにくいし、ファンタジー映画も作りにくいし、どうしても同じようなタイプの、作りやすい映画とウケる映画になってしまう。そういう中で、大島渚監督作品という括(くく)りではなくて、この時代の日本のファンタジー映画の一つとしてこの『愛の亡霊』とか、あるいは先日参考のために船曳真珠監督と一緒にここフィルムセンターで見せて頂いた『四谷怪談』(1965年、豊田四郎監督)とかも、凄く面白いし現代的な感じがしました。色々な形の中で、日本映画がまだまだこれから取り組んでいかなければいけない題材というのは沢山あると思うんですよね。『雨月物語』(1953年)もヨーロッパで凄くウケたし、『愛の亡霊』はタイトルも字幕もフランス語だったように、カンヌでも凄く評判が高くて、こういう日本の昔話みたいなのが伝わったわけですよね。日本映画が日本の中に閉ざされているのではなくて、もっと欧米やアジアや世界に向けてもう1回出すというのかな、題材を含めてどういう映画を作るかということを考えなきゃいけないなという感じがしたんですけどね。
船曳: 種田さんが美術をされている『スワロウテイル』(1996年、岩井俊二監督)や、いま東京都現代美術館でアニメ『借りぐらしのアリエッティ』(2010年、米林宏昌監督)の世界を再現されていますけど、岩井さんや宮崎駿監督のファンタジックな世界は世界的にも人気があるし、そういう方向でもっと作品が出てくればいいなと思います。
種田: 偏らないでもっと多くの監督が、あと新しい若手の監督もですね、色々なジャンルで色々な表現方法があると思うんです。ホラー映画でもJホラーというカテゴリーの中からもっと広がって、もう少し普遍的な言葉を使った共通言語を持った表現方法もあるような気がするんです。どうしてもホラーの空間構成と舞台設定というのが、現代を舞台にすると決まってきますよね。もう少し自由な空間造形みたいなものも、この戸田重昌さんの美術から教わることが出来るのではないかと思います。
船曳: 夏の風物詩みたいな感じで、また怪談ものが作られるといいなと思うんですよね。
種田: そうですよね。今の若い人、浴衣着て花火を見に行ったりしますよね。そういう納涼の気分っていうのはあるんですよね。
船曳: そうですね、一周回って日本主義に戻ってきたというか。その中で日本の昔話とか幻想譚みたいなのを、ファンタジーとして受け入れる環境が出来てくるといいなと思います。
種田: あと美術の立場から言うと、そういうものは美しく描かれるところが凄くいいなあと思っていて。戸田重昌さんの『怪談』(小林正樹監督)も、オープニングのタイトルバックからずっと、その世界観というのは凄く美的に表現されているじゃないですか。そういう日本の美しさみたいなものが滲み出る瞬間が、映画の中に何度もあるんですよね。『雨月物語』の有名な船のシーンとか、今日の『愛の亡霊』で言っても、霧の中で車がカラカラ走ってくるあのシーンだけでも、何気ない描写なんですけど何か特別な美しさみたいなものが映画の中で際立ってくる。ホラー映画でもいいしアクション映画でもいいんですけど、そういうものがもっと飛び込んできて、映像美みたいなのが出ても良いんじゃないかと思うんですけどね。
船曳: 映画が本来持っている魅力というか、映画的な。
種田: そうですね。理由は分からないけど、こうゾクっとするような美しい瞬間だと思うんですけど。
船曳: 是非、種田さんの次の作品の中でそういう幻想世界を見せていただけると。
種田: 次の公開作品は李相日監督の『悪人』という作品で、9月から公開です(2010年)。これは幻想映画ではなく犯罪映画です。九州が舞台で、男と女が逃げていくんですけど、逃げてく中で日本のリアルから少しずつ離れていって、2人にとっての至福の世界みたいな場所に向かっていく、そういう構造を意識して作りました。入口は見慣れた日本の風景なんですけど、出口っていうかな、映画を見終わる頃には、ちょっとシュールな世界に行っているようにしたいなと思って作りました。特別に大きなセットがあるわけじゃないんですが、是非その雰囲気は皆さんに見ていただきたいです。
船曳: 『愛の亡霊』のように現実の中に幻想が入り込んでくる。そういう世界ということですか。
種田: 幻想的というほどではないですけど(笑)。少し見慣れない世界・空間が映画の中で見えるということは、映画ってそもそもね、リアルを見ながら夢を見るみたいなところがあるので、リアルという入口から入っていって、いつの間にか現実にはなかなか見られないような夢物語を見て終わる部分もあると思うんですよね。そういう意味で、船曳真珠監督は何か次に撮りたい映画の構想はありますか。
船曳: ちょっと昔の、戦前期の話を撮りたいと思っていて。現代の生活よりも、戦前期の閉ざされた山の中の農村で、閉ざされた空間の中でこそ成り立つ物語というか。神話的なというとちょっと言い過ぎなんですけど、そういうのは撮ってみたいなと思っています。
種田: 楽しみですね。
船曳: ありがとうございます。

【ジブリとの協同。アニメの世界を実写セットにしてみる】

種田: 展覧会「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展」というのを、10月までやっているのですが(2010年7月17日~10月3日、東京都現代美術館)。
船曳: オープン前日の7月16日の内覧会にお呼び頂いて、ありがとうございました。この展覧会は楽しいの一言に尽きるというか。『借りぐらしのアリエッティ』の世界が美術セットのように東京都現代美術館の中に造られているんですけど、アリエッティという小人の女の子のお話しなので、本当に自分がちっちゃくなったような気分で見て回っていって、それが凄く楽しかったです。それに加えて種田さんが今まで手掛けられた作品も見ることが出来る。
種田: まずは「映画のセット展」みたいな感じで見ていただければと思っています。映画のセットって、なかなかセットだけを取り出して一般の観客の方に直接見せるようなことはないので。もう一つは、先ほどから言っている、なかなか実写で出来ないファンタジーなものをジブリさんとかアニメの方はすっと出せているわけですよね、それを仮にセットで作ったらどうなるだろう。「ファンタジーのセット化」、これってなかなか出来ないんです。そういうチャンスはなかなか無い。アニメでさっと出来たファンタジー空間を現実に作ったらどうなるだろう、というのをやってみた。少しリアルで少しアニメ的というか、そういう空間を実際に見ていただけたらなと思うんです。
船曳: 一つの世界観から、アニメと、種田さんの作られた現実の造形と。別のものですよね。それを比較して見ると面白いですよね。
種田: 『借りぐらしのアリエッティ』(米林宏昌監督)を見てからでもいいですけど、見てなくても。
船曳: 全然大丈夫です。私もまだ『借りぐらしのアリエッティ』を見てないですけど、凄く楽しかったです。ファンタジー好きのごつい男性と一緒に見に行ったんですが、ごつい人が興奮して、2人で笑っていました。森のような植物の小道だとか、巨大な椅子が設えられていたりとか、本当に見どころ満載です。
種田: それと、同じくジブリさんとやっている企画なんですが、小さなルーブル美術館展っていうのを、夏なので軽井沢でやっています。それもよろしかったら、秋までやっています。軽井沢の「メルシャン軽井沢美術館」というところで、『小さなルーヴル美術館』です。

注) 展覧会
Petit Louvre
『小さなルーヴル美術館』展 in 軽井沢
2010年4月17日(土)~10月24日(日)、メルシャン軽井沢美術館

種田: 軽井沢に夏に遊びに行ったりするとですね、さっきの「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展」とは逆に、大きなルーヴル美術館が全部ちっちゃくなっていて凄く面白い。逆の体験が出来て、なおかつレストランで美味しいワインが飲める。
船曳: 素晴らしい宣伝ですね(笑)。私の姉が軽井沢に行くので、その話をしておきます。
種田: 薦めておいてください(笑)。それと今週の金曜日、この近くの丸の内で講演をするんです。真面目な講演で、「映画の中で生きる芸術』というタイトルで。「夕学五十講」という、普段は経営者の方とか色々なゲストが講演するんですけど、なぜか僕が話すことになりまして緊張しています。

注) 夕学五十講 「映画の中で生きる芸術」
   2010年7月23日(金)、慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)


--- 会場から:質疑応答 ---

船曳: 最後に皆さんから質問があれば。今日ご覧いただいた『愛の亡霊』についてでもいいですし、種田さんに聞いてみたいことでも良いです。
観客: 映画の美術を勉強していまして、私もファンタジー要素のある映画が好きです。種田さんの作品には人を惹き付ける美術セットが多いなと思います。ただリアルなセットだけを作っても、人の目には留まらないというか。リアルなんだけど、そこに人の目に留まる、感じさせるようなセットを作るという時に、「こういうことをしています」というのはありますか。
種田: 秘訣みたいなことですか。どうですかね。
船曳: 種田さんの作品を拝見して、時々「スケール感が面白いな」と感じます。実際のスケールとはちょっと違うようなものを作られていたりする。いつも見ているものと違うという感じで、注意を喚起されることがあるんですけど。
種田: 「大事なものは誇張して見せたい」という気持ちはあります。自然な風景の中に埋没していくのではなくて、ここのシチュエーションは重要だ、その中で際立って欲しい。で、どういう工夫をしたら狙い通りのものが伝わるか、少し誇張して見せたい。それがエスカレートしていくと、どんどん大きくなったり、逆に形が特殊になったりしていくけど、あんまりデザインで考えたりはしていないですよ。むしろ1枚の絵画的なイメージみたいなものを思い描いて、その思い描いたものを少しでも表現したいと思ってやっている。何か特殊なものをデザインしようとか、そういう風にはやったことはないです。

【映画の前半で勝負する】

種田: 映画の中で役者たちが紡ぎだす名場面というか、一番の見せ場みたいな場面があるじゃないですか。僕らの仕事は、美術というのはそこでやるのでは遅いんですね、そこの瞬間は一番重要な役者の見せ場になりますから。その前後、あるいはその前の方の入り口部分とか、物語に観客を引き込む場所みたいなところで、造形力というか、そういうものが発揮出来るんじゃないかなと思っています。台本通りに一番役者が盛り上がって、ここでまさに戦うみたいなところで美術が頑張るということじゃなくて、そこに向かうための一番良い装置と仕組みを、かなり早めに用意して作ったりする。
船曳: 世界観というのを、まずその映画の中に作り出すものとして美術がある。
種田: そうですね、前半戦ですね。最初のうちというのは、お客さんは特殊なものとして見てないと思う、徐々に引き込まれていくと思うんです。その引き込まれるシーンみたいなところで、一番重要な装置と空間を作って、まさにそのシーンからこの映画の雰囲気が始まるみたいなことを、監督たちと話し合いながら、そこでやったらいいんじゃないかというところに勝負をかける。そこで失敗すると、またその10分後ぐらいに頑張る、みたいな積み重ねでだんだん盛り上げていく。
船曳: 撮影中にも少し調整をしていくんですか。お芝居の感じに合わせて。
種田: そうですね。そんなに思った通りに上手いこといかないので、調整しますね。結構外したりしながらも、どっかで穴埋めしようとしながら、何とかラストシーンまで頑張る。全体で上手く映画の世界観みたいなのが出せるように、少しずつ積み重ねていってという風には思っているんですけどね。難しいですけどね。
船曳: 良いお話を聞けました。他にどなたか?
観客: 海外の美術監督で、種田さんが「この人の美術は面白いな」という人がいたら教えていただきたいのと、その美術監督の面白いとか興味を引かれるところはどういった部分なのか。日本だけじゃなくて海外でもいたら、教えていただければ。
種田: 難しい質問ですね。美術監督は同業なので、海外の人でもあんまりそういう風には見ていないというか、割と同じ目線で見ているので。過去の人は別なんですけど。過去の美術監督だと「わー」と思って見るんですけど、現代の美術監督は別の国の人でも同じような視点を持っているような気がしていて。個人的には、マーティン・スコセッシ監督とやっている美術監督のダンテ・フェレッティなんかは注目していますけどね。というのは、昔の撮影所のスタイルでやっているんですよね、独自のスタイルで。それで凄く注目しています。この人は1943年生まれで、僕よりも一回り以上歳上です。
船曳: 「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展」で見たのですが、イタリアの映画撮影所のチネチッタ(Cinecittà)のポスターを種田さんも描いてらっしゃったんですけど、ダンテ・フェレッティも描いていましたよね。『ギャング・オブ・ニューヨーク』(マーティン・スコセッシ監督、2001年)をチネチッタで撮影したんですよね。

【ボーダーを越えてこそ映画は発展する】

種田: 元々はフェデリコ・フェリーニ監督の美術をやっていた人で、昔のイタリアのスタイルをアメリカ映画の中に持ち込んでやっていて、「いいなあ」と思って見ています。他にもやっぱりヨーロッパやアジアの中から、アメリカに行ったりイギリスに行ったりしてやっているスタッフや美術監督の中に、僕に刺激を与えてくれるような、そういう人が多いですね。映画は、ボーダー・国境を越えて活躍する時に凄く面白いものが生まれると思っていて、今までもそうだったと思うんですね。ハリウッドの歴史は、ヨーロッパなど色々な国の監督やスタッフが作ってきた歴史です。こういう時代だからこそ、ジャンルやボーダーを越えてやっている監督とかに興味を覚えますね。『パンズ・ラビリンス』(2006年)とか好きです。
船曳: ギレルモ・デル・トロ監督ですね。
種田: あれはなかなか出てこないんじゃないんですかね。美術的にも監督的にも。どうですか?
船曳: スペインが舞台で、元々メキシコの監督だと思うんですけど、ラテンテイストのデザインは目新しかったですね。
種田: ファンタジー映画なんだけど、ああいうファンタジー映画は見たことがなかった。
船曳: なかったです。まだまだ色々な映画が作れるんだなと。新しいものをどんどん。
種田: 希望を与えてくれるような映画が、まだまだあるといいなと思っています。
船曳: 種田さんもクエンティン・タランティーノ監督とか、台湾の監督とか、海外の監督とされていますけど、海外の監督との仕事はやはり刺激的ですか。
種田: 大変ですけどね。なかなかツーカーというわけにはいかない。ただ映画の話は世界共通というか、世代とかもあまり関係ないじゃないですか。だから、映画の話をしていれば仲良くしていられると思うんですよね。それは海外の監督だけじゃなくて同じ日本人同士でも、映画の話がなければ全然会話が成り立たなくても、映画の話があれば盛り上がるというのはある。そういう中で昔の映画の話とかして、「あれ見た見た」とか言いながら、話し合いながら盛り上がっていくみたいのは、これからも映画作りの基本なんじゃないかなと思っていて、そういう意味では面白いです。

司会・伊達: 種田陽平さん、船曳真珠監督、どうもありがとうございました。皆さんどうぞ拍手でお送り下さい。